機能不全な家庭がなぜ愛着障害を生むのでしょうか
愛着障害というのは、聴き慣れない言葉だと思います。
私も心の学びをするまで知らなかったし、自分がそこの該当者だと思ってもみなかったです。
細かい定義はあると思いますが、私が自分の体験や、学びの中からご説明する時に、「機能しない家庭に育ち、愛することと愛されることが分からない状態のこと」とお話しさせて頂いています。
家庭は、安心と安全の基地、土台のような場所。
これが本来の機能なのですが、機能しない家庭というものもあります(機能不全家庭)
この機能しない家庭で育つとどうなるかというと、心の土台が育たない。
愛を受け取る受容器と愛を与える発信器が育たないのです。
もしくは歪になってしまいます。
愛されていると分かっていても止まらない飢えの奥には?
愛されたい、与えられたいと言うのは本能的な欲求だと思います。
飢えのようにそれを求めてしまう状態は何かが欠如した姿ではないでしょうか?
愛されていなかったわけではない。
私たちは、愛を受けていたから今こうやって存在している。
知ってる。そんなこと知ってるけれど、愛されたいが止まらない時がある。
望むように愛されなかったと言うことも、誰も悪くはないことも、愛されていたことも頭ではわかってる。
だけど、体感覚としてここが得られない場合、この飢えのような渇望が強く、欠落感や絶望の中に居ることが多い。
これは、この受容器と発信器と心の土台のいずれかが育っていない場合が多いなと感じる事は多いです。
自己否定の強さなどもありますが、自己受容が真から出来ていない状態。
自分の存在を否定し、ありのままの自分が受け入れられない。
自分が受け入れられないから、埋まらない部分は誰かに埋めて欲しくなる。
愛して欲しい、私がここに存在していていいとを認めて欲しい。
お願い、助けてと声を上げずに泣き続けているのは、あなたの心の奥にいる小さなあなた。
ダメな私でいいと真から受け取れていますか?
そう、これは数年前までの私の姿。
愛することも愛されることも、分かっているつもりだったけど分かっていなかった。
自己否定が強く、自己肯定感は低く、自己受容しているつもりで出来ていない。
誰に認めて欲しかったのでしょうか?
あなたが認めなければ、他の誰が認めていても、あなたには届かない。
そう、私が認められなかった。
常にいい子であることが存在条件だと思い込んでた私は、ダメな私でいてもいいと私自身が認めて受け入れることが出来ていなかったのです。
小さかった受容器をたくさんの経験の中で育てて大きくして、自分を受け入れられるようになった時に、初めて愛されたいという飢えがおさまりました。
愛されたいという飢えは、いくら愛されたとしても受け取れなければ飢えたままです。
そして、私もそうでしたがこの部分に無自覚な方は多いのです。
一緒に変容していきませんか?
気づいた時がチャンンスです^^