そもそもなぜ食べることが止められないのか?
食べすぎたつもりはないけど、結果として食べてしまっていることってありませんか?
過食のメカニズムを見る際に、根本的な動機をみる必要があって、ここは大きく2つに分かれます。
①ストレスや恐怖から身を守るため脂肪の鎧を着て防御体勢に入る
②足りないものを補おうとする代替行為
①については、まずそのストレスや恐怖の根源の奥にあるものを認識すると、結び目が解けて防御する必要がなくなります。
その状態にすることで、脂肪の鎧を脱いでいいんだというルートが勝手に出来上がるので、このルート作りが重要となります。
では、②について、食べることで何を満たしたいのでしょう?
この本の帯に書かれた言葉「5秒ハグすれば食べすぎない」を見た瞬間に思い出した話があります。
それは、赤ちゃん猿によるスキンシップの実験。
母猿に模した金網の方に哺乳瓶を装着。
もう一つの金網には柔らかい布を包んだだけのもの。
赤ちゃん猿は哺乳瓶でミルクを飲んだ後、すぐに柔らかな布に包まれた方によじ登り抱きつくそうです。
「人肌恋しい」というのは根源的な欲求で、暖かくて柔らかいものに触れていると安心するものです。
このスキンシップが小さなうちに満たされていないと安心感の土台が小さい、または形成されづらい。
そのため、足りないスキンシップを補おうという自動行動に出るのです。
意識的な行動では無く、無自覚に行われる自動行動があるため、自分では気がつけないというのがポイントです。
どこでスキンシップしようとして過食になっているのか?
このスキンシップについて学んだ時に、教えていただいた衝撃的なお話。
「ハグやスキンシップなどが足りていない時、喉の粘膜に食べ物を通すことで足りない触覚を味わおうとするんですよ」
つまり体温や肌だけでは無く食べることを通し臓器や粘膜を刺激することでスキンシップの欲求を満たそうとしているということ。
「寂しい人は太る」と言われる所以はここからでしょう。
いくら食べても満たされることはない。
それでも食べてしまうのは、この触覚の部分の満たし方の方向性にズレがあるからなのです。
では、どうすれば良いのでしょう?
・安心してハグができる人がいる時。
ただただハグしてもらってください。
安心して委ねる場所があるのは素敵なことです。
5秒でも1分でも、心が和らぐ感じになる感覚を積み重ねてみてください。
・ハグできる人がいない時。
柔らかで大きなクッションや、ぬいぐるみなどを用意して皮膚感覚を満たしていきましょう。
これは心の土台を作る時と同じ方法になります。
私は師匠の常冨泰弘さんから「フワフワでもこもこ」なものを身近に増やしてみるといいですよというアドバイスを受け、部屋でくつろぐ時に身に付けるものを選ぶ時など心地よく満たされる肌触りのものにしています。
自分にとって、皮膚感覚で心地よい、安心できる、和らぐを基準にしてみると良いでしょう。
美味しいものを食べるのは幸せなことですが、何かを埋めるために食べてしまうという方向を修正していくと、美味しいを楽しむ食べ方を選べるようになります。