何を浄化する必要があるのでしょうか?
日々の生活の中で、感情は動き続け、怒ったり、笑ったり、目まぐるしいほどです。
その中で、心が曇るということが起きます。
まず、心が曇るとはどういうことでしょう?
私たちの心(御霊)を丸い珠のようなものだと思い描いてみてください。
元々は美しくぴかぴかしたものですが、そこに汚れがまとわりついて行く状態、
これが心が曇るという状態。
その汚れとはどんなものでしょうか?
それは日々の埃のようなものなので、ネガティブな感情を受けたり、発生させたり、色々とあります。
生きていますから^^
日々の埃ならさっと取れますが、これがこびりついたりするとなかなか取れませんよね?
こんな風に御霊についた汚れを取る方法が浄化
いわゆる「禊」と「祓い」です。
それって、神社に行ったり滝行しなくちゃ無理なんだよね????
特別な時に特別な儀式がいるものって、思っていました。
でも、和のひめを学んだ時に、和の罪の概念とその償い方を教えて頂き
日々の生活の中に、許しがあることを知りました。
和の罪の概念と穢れ、禊と祓いとは
私には根深い自己否定と罪悪感があって、この十字架は永遠に背負うのだと言う絶望が奥底に横たわっていました。
和のひめで、罪と言うのは心(御霊)を否定的な感情で包み隠してしまうことで、自己否定をすること自体が罪である。
そして、この罪は祓うことに、罪によってできた穢れ(気枯れ)は禊で流すことが出来るのだと教えて頂きました。
自己否定をすること自体が罪であると言うことと、日々の生活の中で祓いと禊を実践していくことで浄化していくことが出来ると言う観点は、たくさんの気づきでもあり、救いでもありました。
では、祓いと禊とは実際どんなものなのでしょうか?
祓い、それは音によって行われるもの。神社の中で色んな音を聞きませんか?
鈴、柏手、玉砂利、太鼓、水音、
禊とは、どんなものでしょうか?それは水で流すと言うことです。
神社では手水で清めてから参拝しますよね?あれです。
では、神社に行かないでも出来る禊と祓いとはどのようなものでしょうか?
それは「笑う」ことと「泣く」こと。
笑いは祓い、泣くのは禊なのです。
笑うことで日々の感情の埃を祓うことができます。
泣くことは溜まった感情そのものを洗い流すと言うこともありますが、涙ってただの水ではなく塩水であることも大きいのです
それはイザナギノミコトが黄泉の国から戻られて、海に入り禊をしたお話を思い出してみてください。
もちろん、塩水につかるのも良いですし、滝行状態で水シャワーを浴びるのも禊の一つ
塩水で硬く絞った雑巾で家を拭き清めるのも浄化としては良い方法です。
神事を日常生活に取り入れていた和の叡智
節目や思うところがある時は神社に行ってお祓いをしてもらう、滝行に行くのも良いことだと思います。
神社にいかなければ、滝行をしなければ出来ないではなくて、日々の生活の中でも禊と祓いは出来ると言うことを知って実践することは、とても大切だと実感しています。
昔ながらの風習や言い伝え、神話に隠されていた和の叡智は、日々当たり前のものとして実践されていたと言うことなのです。
日本神話を学び、ひめ神様から女性としての在り方を学び、ことだまを学ぶことで、やまとことばに隠された秘密を学ぶ中で、特別なことではなく日々の生活にこの叡智をお伝えしたいと思うのはそんな理由からです。
感情を押さえつけることなく、生きる中で体験するたくさんのことを感じる中で、御霊に埃がつくことは日常です。
そこを悪いと思わないで欲しいのです。埃がついたらフーッと吹き払ったらいいだけのことなのです。
たくさん笑って祓いましょう。いっぱい泣いて禊いでください。
あなたの魂も私の魂も、みんなの魂が日々、浄化され輝いていくことが大事なのですから。