パートナーはあなたの心の奥で望んだものの現実化です
私のパートナーだった皆様は、常に行動としてDVか、性的暴力、虐待、歪んだ性癖や性的倒錯をお持ちの方ばかりでした。
最初はその類似性に気づかず、男性とはそう言うものだと私が麻痺していたと言う面もあるのですが、体も心も傷ついていくばかりで、壊れていく自分にすら気づけなかったのです。
ある時、ふと「私、辛い」と呟いていました。
言葉になった自分の声を聞いて、初めて自分の奥にあった気持ちを知って、涙が止まらなくなりました。
小さな頃から、泣くことが許されない環境にいた私は、涙をこぼす事は出来ても声を出して泣くことが出来なくなっていて、ただボロボロ落ちる涙と、それでも湧き上がってくるのに押さえつけると言う自分の中のせめぎ合いを他人事のように見ていました。
まだ感情を解放することを知らなかった時のことです。
私は何が辛くて涙が出ているんだろう?
問いかけて、分解していく中で、分かったこと、その気持ちをその時、付き合っていたパートナーに伝えてみました。
「私は、性的な暴力や、サディスティックな行為も、望んでいないし、それを受けるたびに辛い。悦んでもいない。」
そこで返ってきた言葉は、私に大きな衝撃ときっかけをくれました。
「自覚がないかもしれないけれど、それを望んでいるのも引き寄せてるのは君の方だよ。そういうものを発しているし望んでいるんだよ。少し時間を取って考えてみたらいい」
初め、「何言ってるの???そんな訳が無い」と怒りすら覚えましたが、その言葉が引っかかって離れませんでした。
望んでいないものを本当は望んでいるは私?引き寄せるものって何???
手繰り寄せていって知った罪悪感の仕組み
小さな頃に受けた性的な虐待は、いつから始まっていたかさえ分からないほど幼い頃のこと。
長期に渡っていたのに、その時の記憶は数十年もの間、記憶から抜け落ちていました。
自分ではそんなに気にしていないつもり、平気なつもりだったけれど、平気ではなかったと言う事なのでしょう。
そんなことを思い出しながら、手繰り寄せていった時に見つけた原風景。
幼すぎて自分の身に起きていることが分からなかったけれど、ある程度の年齢になるとそれがどういうことなのか気づいてしまう。
あんなに小さく幼いのにそれに気づいた瞬間に、「自分は穢れている」「普通ではなくなってしまった」と感じてしまうものなのですね。
そんな絶望と無価値感が幼い私の中に一気に広がっていったと同時に起きた感情。
「こんな私を罰して欲しい」
この罪悪感がスパーンとまっ直に私の奥の深いところに突き刺さったという構図を目の当たりにして、私はひどく納得しました。
「こんな私を罰して欲しい」と、奥深くから望めば、「こんな私を罰してくれる人」が現れる。
引き寄せてるのは君の方だと言われたのはこの事だったのだと。
気づくと反転する世界を経て、あなたへ伝えたい事
その事に気づいた瞬間、オセロが反転するように別な事に気づかされたのです。
こんな私を罰して欲しいと言う絶望の奥の奥を叩き割った結果なのでしょう。
気がついたら「最初から許されているし、愛されている」と言うアンサーの中に包まれていました。
理屈ではなく全てで受け取ったら、「罰してもらう理由」が消えている事に気づいたのです。
「もうこんな私を罰して欲しいと望まなくていいし、望まない。来たら必ずNOを言う。」
そう決めたら、「罰する、支配する」と言う男性が私の元へ訪れることが無くなったのです。
ただ、その時に私がどんな現実が創造したいかという事が描けなかったので、そこはしばらく白紙状態となっていました。
長かった絶望から抜け出た後だったので、急がずに静かに紡いでいけばいいと放置しつつ、望むパートナーシップについて向き合ってはいました。
起きた事象は永遠に変えられないし、学ぶための経験ということも確かにあるけれど。
出来るならば長い間こんな思いはして欲しくない。せめて早いうちに気がついて新しい未来を選んで欲しい。
あなたの絶望を独りにしないで欲しいと願うのです。
もし今の状態に違和感があったなら、魂の奥から幸せで喜んでいるか、自分に聞いてみてください。
ただ、ひとりで見るには怖すぎることもありますから、その時はお声がけくださいね。
心を重ねて一緒に見ることで起きるオセロのように反転する世界は。あるのですから。